本家本元の“親方日の丸”の国鉄の貸物が、国鉄の度重なるスト連発もあって荷主離れを引き起こし、取扱量も年々激減し、国鉄そのものの民営化ともに衰退。日通も国鉄依存体質は保てなくなってしまった。独立独歩を強いられてしまったのである。オンブにダッコの時代は終焉したということである。もっとも国鉄民営化後、貨物部門は日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)として発足しているので、日通と旧国鉄貨物部門の関係はなくなったわけではないが、以前よりは希薄になったといえる。もともと日通は1937年、半官半民の会社として設立されて以来、幾度となく危急存亡の秋をくぐり抜けてきた会社。それらはいわゆる身から出たサビがほとんどであった。しかし国鉄民営化、JR発足は構造的なもの。そのためカジ取りを誤ると大黒柱が傾きかねないというものだった。ちなみに日通の前身は、明治の世の1873年に設立された貨物輸送部門の「陸運元会社」で、それが3年後に改称され「内国通運」になって、民間会社となったのは、戦後の1950年のこと。官僚的な体質とよくいわれるが、生まれ落ちた時よりそうした体質だったのである。そんな会社が宅配便として消費者に直結するペリカン便をはじめた。もとより引越し事業は、個人向けが大半でお手のもの。いかんせん、今も昔も変らないのが、愛想が悪いということ。ペリカン便こそ、ヤマト運輸に次ぐ取扱高をあげているのは、応々にして、全国的なネットワークを既にもっていることに起因している。むろん、宅配便事業に対してのヒト、モノ、カネの投入も半端でなく、消費者サイドに立った商品開発に取り組んできていることも大きな要因の一つである。ペリカン便が軌道に乗りだした当時の社長の長岡毅(現会長)は、朝日新聞紙上にて、「路線、宅配便は競合する国鉄貨物に気兼ねして本腰を入れるのが遅れた」と語っていたが、ペリカン便にも国鉄の影が大きくおおいかぶさっていたのだ。そうした日通故に、引越し事業も“片手間”商売に終始したわけであろう。
(参考)
サカイ引越センター
http://www.hikkoshi-sakai.co.jp/
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